落語のような演劇のような落語。観てほしいのは、志らく師匠の了見

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舞台「不幸の家族」を観てきました

赤坂レッドシアターで絶賛開催中。

3世代でもラクラクのバリアフリー旅、
そして家族で落語を楽しんでほしい…
鈴の宿 登府屋旅館の 遠藤直人(@naaot)です。

面白かったっす。

ただの劇としてだけでなく、落語家である立川志らく師匠が脚本も演出も手がけている。
そう考えるとますます面白かったです。

最後に志らく師匠のサイン会も

開演までパンフレットを読んで待つとこの劇の特殊さが書かれていました。

落語のような演劇

複数の役者さんが、台本に基づいて、役を演じる。

そこだけ見れば、演劇なんです。
でも、このお芝居は演劇のフォーマットを使った落語。

観ているとそう感じます。

演劇の常識からすれば、ありえないことも落語だと思えば腑に落ちるという。

 

舞台転換や小道具、衣装がめくり

普通、演劇では、大道具と小道具があります。
大道具さんはセットを作り、場面が変わるとセットも変わるもの。

このお芝居、セットがほとんど変わりません。
箱の位置を動かすくらい。

その代わり、めくりが変わります。

「居酒屋」「楽屋」「病院」など、文字で変わる。

これは、まさに落語そのもの。
落語でも「一方その頃、居酒屋では…」と言った瞬間に場面転換です。

そして、小道具はたった2つ。
扇子と手ぬぐい。

落語もそうです。
落語家さんは、扇子と手ぬぐいで全てを表現します。

一つだけブルースハープ(ハーモニカ)が登場しましたが、楽器なので例外ってことで。

小道具がない部分は、パントマイムのようになりますが、それが逆にいい。
見えないからできるギャグがあったりして、これまた落語そのもの。

スプレーのあたりは、小道具でスプレー缶を使ったらギャグにならなくなります。

さらに、衣装

みなさんVネックのシャツの上に黒のYシャツ、下は黒いズボン。
インナーだけは、色違いでしたが、それ以外は同じ。

シャツには立川流の三階松の家紋が前に2つ、後ろに1つ。

そうです。
着物に羽織のイメージ。

衣装まで縛るあたりも落語的です。
落語家さんは、全員着物ですが、それで全てを演じるんですから。

 

演劇ではありえない無理な設定をわざと

パンフレットに書いてあったのですが、川上麻衣子さんが志らく師匠の娘役。

普通の演劇では、ありえないキャスティングです。
もっとちょうどいい設定にするもんですが、あえてそうしているそうです。

これまた、落語的発想。

落語家は、70歳のおじいちゃんが、18歳の娘を演じたりする。
というか、たった一人で老若男女すべてを演じきる。

だったら、娘でもいいじゃん、という。
もちろん、そのギャップもギャグとして劇中に出てくるのが、さすがです。

このキャスティングは志らく師匠からの挑戦状です。

普段、落語では、お客さんは、おじいちゃんの落語家さんが娘さんを演じても飲み込みます。
ほんとは、無理があるのに。

では、演劇ならどうなの?
あえてしている無茶な設定をカバーしてちゃんとストーリーを描く想像力はあるの?

演者の技量と観客の資質への挑戦状ですよ。

「設定に無理があるよ」と言っちゃった人は、最初からレース脱落です。

 

サゲが激烈に落語的

落語とは、落としばなし。
必ず、サゲ(オチ)があります。

観ていると、普通の演劇ならここで終わるだろうなーというシーンがある。
あれ?おわんないの?

っていうか、なにこの展開!

大どんでん返し。
師匠に口止めされているので書きませんが、すごい。

「なんて、落語的な終わり方なんだ」と愕然とします。

さっきまで感動して泣いてたのに、ヤラレターーーー。
誤解を恐れずに言えば、感動からの拉致。

もう、ストーンと。
落語だわ。
そして、いろんな伏線に気付かされます。

志らく師匠の了見を忖度しながら観てみよう

このお芝居で一番の見所は、志らく師匠の了見です。

もしかしたら、見てもいないのに「落語家なんだから、落語だけやってりゃいいじゃん」と思う方がいるかもしれません。
落語ファンも、演劇ファンも「落語なら観にいくけど、なんで演劇?」と思うかもしれません。

師匠にしてみれば、落語だけやっているのが、間違いなく一番楽だと思います。
落語会をやった方が、無難で普通で間違いない。

でも、そうしていないところが興味深い。
その真意が気になる。

志らく師匠の師匠である談志師匠は、「イリュージョン」というスタイルを生み出しました。
もう、落語の常識からすれば、無茶苦茶。
きっと、その頃のお客さんに「談志の師匠から教わったようにちゃんとやればいいのにね」と言われたと思います。

そっちの方が、当然、楽です。
何も考えずに教わった通りにやる。
お客からすれば、要求どおり。

でも、変化はしません。
変化がないと進化はありません。
変化させようと意図して行う人がいなければ、偶然の変化なんて起こりません。

談志師匠は、思いっきり落語界を変えた革命家です。
革命家の了見に気づくのは、凡人はあとあとのことです。

もし、目の当たりにしたら「何やってんだよ。いつもと違う。いつも通りやれよ。」となる。
いきなり理解できないのは、しょうがないです。

理解はできないかもしれない。
ただ、革命を観ておくことはできます。
その場では、気づけないかもしれないけど、まず歴史に立ち会っておく。

春風亭小朝師匠や立川談春師匠、春風亭昇太師匠のように落語家で役者もこなすのとまた違うんです。

落語家は、自分一人で演じるために脚本を書き、演出します。
演者であり、脚本家であり、演出家。

でも、演者は絶対に1人。
これは、落語の宿命です。

それに対して、複数で落語をやるとどうなるのか?
その実験なのか?

落語のフォーマットを演劇に持っていくとどうなるのか?
その挑戦なのか?

とにかく、真意は私にはわかりませんが、最高に面白い舞台でした。
落語ファンとしても立ち会えてよかったとつくづく思いました。

さらに、アナザーストーリーである一人芝居「不幸の伊三郎」が観たくてたまらない。

「不幸の家族 → 不幸の伊三郎 → 不幸の家族 → 不幸の伊三郎・・・」 という無限ループにハメられた感すらあります。

長々と書きましたが、結論は、「観にいった方がいい」です。
舞台は、その期間しかやっていないから。
今しか観れないから。

そして、「おい遠藤、お前ほめすぎだろ」と思ったとしたら、パンフレットをご覧ください。
志らく師匠が書いてます。
「弱気を助け、強いものにはヨイショする」って。

このお芝居、見所は、志らく師匠の了見。
きっと衝撃を受け、落語と演劇の違いに気づき、落語が好きになりますよ。

山形から観にいった甲斐があります。

気になったら、赤坂レッドシアターへ!

 

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