城崎温泉 視察研修レポート。昭和元年からの貫流

この記事は9分ぐらいで読めます♪読み応え十分!どうぞお付き合いください^^

優れた温泉地には、文化がある

視察に行ってきました。

3世代でもラクラクのバリアフリー旅、
そして家族で落語を楽しんでほしい…
鈴の宿 登府屋旅館の 遠藤直人(@naaot)です。

城崎温泉に行ってきました。
私の中の温泉街ランキングのナンバーワンが塗りかえられました。

到着が暗くなってからだったこともあり、興奮状態でした。
城崎温泉は、夕方から夜にかけて他の温泉地の追随を許さない景色になります。

自分が清少納言なら、「城崎は夜。」という出だしで随筆を書きます。

温泉街のこの雰囲気

温泉地の真ん中を流れる大谿川。
その両脇の柳並木。
ぼんやりと灯る行灯。

普通の温泉街なら、電柱の高さの街灯ですが、城崎の行灯の高さがもっと低い。
低いということは、広範囲を照らせないので個数を増やしてカバーする。
非効率な照明が逆に薄暗いところと明るいところを生み、雰囲気を作ります。

行灯には美しい絵が映しだされます

年配の男女でも手をつないでいる人が多かったのは、この「人がいるのはわかるが、顔まではわからない」くらいの程よい照明にあると思いました。
川には、ちょうどいい感覚で橋がかかり、渡ったり、眺めたり。

宿も商店もお風呂も「共存共栄」というコンセプトのもと。
宿の方は、公衆浴場巡りや外のお店でのお買い物をおすすめし、宿の中には売店もなければ大浴場もない。

公衆浴場は、他の温泉の公衆浴場とは比較にならないほどしっかりした作り。
圧倒されました。

ナニこの豪華な公衆浴場!!

それが7つ。
1つは工事中でしたが、それでも6つ全部巡りました。

旅館だと思って、通り過ぎた公衆浴場

チェックインしてから、温泉街を歩きたくて仕方がない。
ディズニーランドの門をくぐった直後の感覚です。
「早く全貌を見たい!この路地も気になる!」みたいな。

昭和元年からのコンセプト「共存共栄」

城崎温泉の旅館経営者とお話しすると口を揃えて「城崎は共存共栄なんで」とお聞きします。
年代も関係なく、みんな同じことをおっしゃいます。

宿に貫かれる共存共栄の精神

随分と教育が行き届いていると思いながらも、「本当なのか?本心なのか?」という邪推もありました。
が、温泉街を歩いてわかりました。

本当でした。

とにかく光の使い方が上手

すべては、大正14年に遡ります。
城崎温泉を襲った大地震「北但(ほくたん)大震災」。

1925年(大正14年)5月23日午前11時11分。
ちょうどお昼前。

地震で崩れた家屋からは、火の手が上がり、街全体が大火事。
焼け野原となりました。
当時の写真には、焼け跡以外、何も写っていません。

何もなくなって落胆する中、強力なリーダーの元、城崎温泉は復興に立ち上がりました。
その時のコンセプトが「共存共栄」。

温泉街を流れる川の川幅を広げ、橋をかけ、防火区画になるように温泉街の数カ所にコンクリートの建物を配置。
旅館は木造三階建てが、メインでしたが、ところどころにコンクリートの建物を置くことでここで火を止めるという仕掛け。

その建物こそ、公衆浴場です。
木造の中にある巨大なコンクリート建築に感じた違和感は、防火意識そのものでした。

いざ火事なったら、公衆浴場が火事を食い止め、川も水利、コンクリートの公衆浴場も水利。
道幅も広く、向かいの宿から「もらい火」をしにくい作りです。

実は、小野川温泉も過去2回、大火がありました。
ですから、同じように昔からの温泉街にしては、道幅が以上に広い。
もらい火しない工夫です。

大変なご苦労だったとは思いますが、いったん無になったからこそ、その後「みんなで団結して共存共栄」ができたのは間違いないです。
災い転じて福となす、です。

昭和元年にできたコンセプトは、以来93年間。
家族であれば、祖父・親・子の三代に渡って、受け継がれ、地域の文化となりました。

例え、よそからお婿さんが来ても、新規参入の企業が来ても「城崎ではね…。」と文化が受け継がれていくのでしょう。

100年近く受け継がれた文化は、地域のベースになります。

川幅を広げた大谿川が流れ続けるが如く、城崎の共存共栄文化もずっとずっと貫流しています。

危機感がないと団結できない

思えば、東日本大震災のあと、1ヶ月後の4月15日に「温泉米沢八湯会」ができました。

日本は自然災害が多い国ですが、だからこそ、その後には復興に向けた団結が生まれます。

世の中、温泉地でも観光地でも、何もないし、何もできない地域があります。
そういう地域に一番ないのが、危機感です。

何もない。だから、人が来ない。
それを危機と思わない。

人は本当の危機感を持った時、初めて心底団結し、協力して事に当たる。

この橋が造られたのも震災直後

外国人や浴衣の日本人で賑わう城崎温泉でもっとも感じたのは、93年前の震災であり、それを乗り越えた人々でした。

「共存共栄」という旗印を今も連綿と守りながら、時代に合わせフィットさせながら、発展している城崎温泉。
温泉関係者なら、ぜひ一度、視察をオススメします。

「こんなすごいところがあるなら、もっと早く教えてよー。」
と自分の不勉強を恥じるのみです。

とはいえ、本日の台風につきましては、被害が少ないことを祈っております。

・・・・・

ここからは、おまけ。

歩いていたら、偶然出会った長崎県の若旦那

夜は城崎の若旦那とも交流

「城崎にて」はじめ、新たな文芸復興も

 

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