倉橋英太郎先生のお別れ会に参加しました
この記事は3分ぐらいで読めます♪お付き合いください^^
惜しい人を亡くしました…
生涯現役でした。
こんにちは。
松本まで日帰りで行ってきました。
鈴の宿 登府屋旅館の遠藤直人です。
先日、「大改造!劇的ビフォーアフター」の匠・倉橋英太郎先生のお別れの会に参加してきました。
改めて、稀有な建築家だったのだと痛感し、お亡くなりになったのが悔しくてたまりません。
65歳での急逝。
亡くなる日まで仕事をしていた生涯現役の先生でした。
33歳で独立された先生。
素晴らしいお人柄でした。
私のような若輩にも、分け隔てなく、いろいろ教えてくださいました。
枠に縛られない稀有な建築家でした。
独立した方に特有なのかもしれませんが、先生もまた仕事人でした。
まず、オンオフがない。
休日も建築に関するような場所へ家族旅行。
どんなときも「建築」でした。
そして、エリアのボーダーがない。
全国を飛び回っていた先生。
フェイスブックをはじめてからは、その神出鬼没ぶりに驚きました。
最後に、仕事のボーダーがない。
建築家だからと、建築だけではありませんでした。
マーケティングや経費削減、環境問題まで、施主の経営者が学ぶべきことまで学び、それを教えてくださいました。
さらに、地元・松本の建造物保存や小野川温泉の街並み景観の形成など、建築の専門知識を活かしたまちづくりにまで取り組んでおられました。
いろんな地域のいろんな業種のいろんな人が、先生といっしょにお仕事をして、先生に教わり、先生とならこんなことができる!と夢を見たと思います。
他人に夢や可能性を感じさせる素晴らしい先生でした。
旅館業界としても、先生ほど青年部員のいる宿を手掛けていた建築家はおらず、もし生きておられたらもっともっとたくさんの旅館が生まれかわり、経営面でも建てなおしていただけたことでしょう。
その点では、業界としても惜しい方をなくしました。
先生の建築コンセプト「蘇生」。
建築家のエゴのような費用の掛かる建築ではなく、施主やすでにある建築物のよさを引き出しながら、予算の面でも無理のない、末永く続く経営体を作る。
建物だけでなく、会社そのものを「蘇生」させる建築家でした。
先生のご冥福を心よりお祈りいたします。
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