旅館ブログ

災害ウォッチャーになる前に。「できること」の意味

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大山地区のお酒を飲んで応援!

なにもしないという選択肢もありました。

3世代でもラクラクのバリアフリー旅、
そして家族で落語を楽しんでほしい…
鈴の宿 登府屋旅館の 遠藤直人(@naaot)です。

昨日発表した「大山地区のお酒を山形の旅館が応援消費」
おかげさまで、たくさんのマスコミで取り上げていただきました。

河北新報

河北新報(ヤフーニュース)

朝日新聞

読売新聞

さくらんぼテレビ

さくらんぼテレビの動画

他にも、毎日新聞、山形新聞、荘内日報。

さくらんぼテレビの様子

詳しくは、こちら。
大山地区のお酒を53宿が応援消費

災害ウォッチャーになる前に

外国で飛行機が落ちました
ニュースキャスターは、嬉しそうに
「乗客に日本人はいませんでした」
「いませんでした」
「いませんでした」

ザ・イエローモンキーの「JAM」の一節。
学生時代にこの歌を聞いたとき、衝撃を受けました。

それまで「いませんでした」でホッとしていた自分の感覚に「それでいいの?」を突きつけられたからです。

テレビやSNSの発達で、災害の詳細がよりリアルに伝わる反面、逆に人ごとのような、映画やゲームの中の出来事のように見てしまう感覚も芽生えてしまいます。

見る側は、「うわー、すごい(映像)。」
撮る側は、「すごいっていう映像、どこかにないか。」

私もそういうタイプです。
ただ、東日本大震災以降、多少なりとも変わったのは、それを見ながら「何かできることはないか」を探るクセがついたこと。

「もしかしたら、何かできることがあるかもしれない。」

もちろん、義援金を送るなどは、いつでもどんな災害でも可能です。
ボランティアに行くも同様。

その2点でもいいのですが、まずは「その瞬間、その立場で、自分だけができることはないか」をつきつめてみること。

例えば、災害が起きたときに、総理大臣が「真っ先に現地に入ってボランティアスタッフとして汗水流して一日中、片付けをする」のは、違います。
総理大臣なら、その立場でもっと違うことができるはず。
自衛隊を派遣したり、避難所を整えたり。

同じように、自分の立ち位置でも何かできることがあるのかもしません。
し、ないかもしれません。
究極的には、災害を元に戻すことは不可能で、どんなに支援しても失われたものは戻りません。

微力ながら、何かできることがないか。
災害の真っ最中に「千羽鶴を贈る」ような話ではなく、本当に相手に必要とされることがないか。

酒蔵が被害にあうなか、宿はお酒の栓を開けて提供するので、そこに目をつけました。

支援企画の舞台裏

地震が起きたのが、6月18日。
酒蔵の悲惨な状況を知り、「大変だなぁ」と当初はTVウォッチャーでした。
その後、「売りにくいお酒があるのでは?旅館で応援消費ができるのでは?」と思いついたのは、20日でした。

以前、東日本大震災のときに鳥取の温泉に助けていただいた記憶もありました。

鳥取県の皆生温泉が行った東北の酒応援企画

このとき、皆生温泉の若女将・柴野さんに「何かできることはありませんか?食材を仕入れますか?」と言われましたが、当時は食材の風評被害の懸念があったので、間違いないところでお酒をおすすめしました。

お酒は、生鮮食品よりも運びやすく、日持ちもするし、管理しやすい。
そして何より、みんな大好き。

今回の企画でも、災害直後は、あつみ温泉は営業できる状態ではなく、被害のない宿もキャンセルが厳しい。
お客様は「行きたいけど、かえって迷惑では」と思う方もいらっしゃいます。
そのタイミングでは、宿への集客より、モノでの支援の方が反応があると思いました。

「うちの宿だけですぐにやる」という手もありましたが、それよりは山形県内の宿でまとまったほうがより効果が上がります。

幸いなことに、青年部には湯田川温泉 つかさや旅館の庄司丈彦くんがおりました。
彼は日本酒に精通しており、大山の酒蔵のみなさんとも友達のような間柄です。
今回の企画は、彼がお膳立てしたものです。

酒蔵の状況を聞き、他の宿にも声をかけたら、53のお宿が賛同してくださいました。

賛同しやいよう、あまり細かなルールは決めずに集めました。
こういう時は、仕組みより、気持ち。
そして、正確性よりスピードです。

取りまとめるうちに、あつみ温泉も営業再開してきて、災害直後の空気感がだいぶ変わってきました。

被災した場合は、まず自分のことで精一杯。
目の前のことを頑張るので精一杯。
でも、周りにはもっと大変な人もいたりする。
自分から「助けてくれ」とは言いにくい。

だから、もしできることがあるなら、周りから声をかけてあげる。

庄内地域の方は、「庄内と内陸」という分け方でとらえます。
庄内から見ると、ちょうど山や川で遮られているからです。

庄内以外の地域の方は、「庄内・最上・村山・置賜」と4地域でとらえます。
歴史上の国境だったからです。
同じ県内でも捉え方が違うという山形あるあるです。

今回の災害では、被害があったのは庄内です。
でも、庄内だけの出来事ではなく、「内陸含め全県あげて応援します!」。

今年の秋には、新潟・庄内でDCという大型キャンペーンがあります。
ここでさらに大きく盛り上がるよう、元気に立ち上がっていただけるよう応援しています。

著者情報

1976年、山形県米沢市生まれ。福島大学経済学部を卒業後、㈱旭テック(現・旭ブレインズ)に勤務。その後、オーストラリアでの1年間の放浪生活、那須温泉・山水閣での研修を経て、2004年、鈴の宿 登府屋旅館にUターン。宿の仕事のかたわら、小野川温泉のまちづくりに注力していた2011年、東日本大震災を経験。震災後は、米沢の温泉旅館の連携を模索。1か月後には、「温泉米沢八湯会」を組織化し、義援金を集め、プランを作り、新たな切り口で米沢の価値を高めている。2013年、代表取締役への就任を機に「車いすでも安心して過ごせる宿」を目指す。「お客さまは、旅館ではなく旅行に来ている」という発想から『車いすで米沢を旅する本』を編纂。車いすでも安心して旅できる地域づくりを行っている。また、宿の宴会場では、不定期で自主セミナーを開催。講演テーマは、「リピーターを生み続ける仕組みづくり」「小野川温泉・米沢八湯のまちづくり」「補助金・マスコミ・ソーシャルメディア活用法」「燃料は、捨てる温泉熱!ヒートポンプで灯油ゼロ」など。自身の経験を公開しながら、他地域からの視察も積極的に受け入れている。