旅館ブログ

旅館や温泉街って、戦後はどうだったのか?漫画「黒川温泉 新明館」

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黒川温泉 新明館

うまく想像できないのが戦後

1976年(昭和51年)生まれだもの。。。

3世代でもラクラクのバリアフリー旅、
そして家族で落語を楽しんでほしい…
鈴の宿 登府屋旅館の 遠藤直人(@naaot)です。

この季節になると、戦争について考える機会が増えます。

真珠湾攻撃、ミッドウェー海戦、硫黄島の戦い、東京大空襲、広島と長崎での原爆投下、玉音放送。

そんな歴史の教科書で覚えるようなシーンは、繰り返し見ますし、小説や映画の題材にもなります。
きっと実際のシーンに近いようなイメージを持てていると思います。

私が、もっともイメージしたいけど、なかなかできないシーン。

実は、それが、戦中戦後の温泉街です。

旅館や温泉街というのは、どちらかというと非日常です。
生活必需品ではありません。

どちらかというと、遊びの部類。

高度成長期、バブル期に関しては、「だいたいこうだったんだろうな」という想像ができます。

それが戦中戦後というと、今ひとつよくわからなくなります。

小野川温泉は、江戸時代から温泉旅館が立ち並んでいますので、戦中戦後も温泉旅館が並んでいます。
果たして、そこに来ていたお客様は、どんな人々だったのか?
どんな様子だったのか?

疎開に来た方にお会いすることがありますが、当時はどんなだったのか?

どんな人が、どんな目的で泊まって、お酒を飲んだりしていたのか?
食料は手に入ったのか?

うまく想像できません。

そもそも交通機関がなかったような田舎です。
どうやって泊まる連絡をして、どうやって足を運んだのか?

祖父や祖母から断片的に聞いたような感じがしますが、でも、イメージを形作るまでには至っていませんでした。

九州 黒川温泉の様子から想像を広げる

すごい漫画を見つけました。

タイトルズバリ「漫画 黒川温泉 新明館」

黒川温泉 新明館

後藤哲也さんの半生記

洞窟風呂でおなじみの黒川温泉の宿「新明館」の物語。

全体的にひきの画で淡々と進むストーリー。
田舎の日常をドキュメンタリータッチで描いています。

戦後の黒川温泉の様子、当時の文化や習俗、お客様とのやりとりなど、じっくり読むととても深い。
作者の柴田敏明さんが、ものすごく細かく取材されているのがわかります。

後藤哲也さんとともに

主人公の後藤哲也さんには、いろいろ教わりました。
私が宿に戻ってきたころ、「いろいろ教わりたいので働かせてください」といったら「私がいってあげるよ」と小野川温泉に来てくださって、いろいろ教えてくださいました。

いわば、師匠のようなお方。

この漫画を読んでいると、戦後、田舎の温泉地はどんな様子だったのか?
どんな風に発展していったのか?
その時々に、後藤哲也さんは、どんな想いで、どんな決断をしたのかがよくわかります。
後藤さんが、露天風呂づくりやまちづくりができた背景も読み解けます。

戦後72年。
70年前の日本は、こんな感じだったんだなとも思います。

道路はデコボコ、馬や牛で移動、わらじ履き、温泉を送るパイプは竹、炊事はかまど、ガソリンではなく木炭車、自給自足。
きっと、小野川温泉も昔は同じような状況だったと思います。

今では信じられませんが、70年でこんなに変わったんですね。

これから70年後の変化は、この漫画に描かれている変化の幅以上の世界になるのでしょう。

それにしても、70年前の小野川温泉はどうだったのか?
今度、飲み会でいろんな人に聞いてみたいと思いました。

著者情報

1976年、山形県米沢市生まれ。福島大学経済学部を卒業後、㈱旭テック(現・旭ブレインズ)に勤務。その後、オーストラリアでの1年間の放浪生活、那須温泉・山水閣での研修を経て、2004年、鈴の宿 登府屋旅館にUターン。宿の仕事のかたわら、小野川温泉のまちづくりに注力していた2011年、東日本大震災を経験。震災後は、米沢の温泉旅館の連携を模索。1か月後には、「温泉米沢八湯会」を組織化し、義援金を集め、プランを作り、新たな切り口で米沢の価値を高めている。2013年、代表取締役への就任を機に「車いすでも安心して過ごせる宿」を目指す。「お客さまは、旅館ではなく旅行に来ている」という発想から『車いすで米沢を旅する本』を編纂。車いすでも安心して旅できる地域づくりを行っている。また、宿の宴会場では、不定期で自主セミナーを開催。講演テーマは、「リピーターを生み続ける仕組みづくり」「小野川温泉・米沢八湯のまちづくり」「補助金・マスコミ・ソーシャルメディア活用法」「燃料は、捨てる温泉熱!ヒートポンプで灯油ゼロ」など。自身の経験を公開しながら、他地域からの視察も積極的に受け入れている。