旅館ブログ

倉橋英太郎先生のお別れ会に参加しました

13views

倉橋英太郎先生

惜しい人を亡くしました…

生涯現役でした。

こんにちは。

松本まで日帰りで行ってきました。
鈴の宿 登府屋旅館の遠藤直人です。

先日、「大改造!劇的ビフォーアフター」の匠・倉橋英太郎先生のお別れの会に参加してきました。

改めて、稀有な建築家だったのだと痛感し、お亡くなりになったのが悔しくてたまりません。

65歳での急逝。
亡くなる日まで仕事をしていた生涯現役の先生でした。

33歳で独立された先生。
素晴らしいお人柄でした。

私のような若輩にも、分け隔てなく、いろいろ教えてくださいました。

枠に縛られない稀有な建築家でした。

独立した方に特有なのかもしれませんが、先生もまた仕事人でした。

まず、オンオフがない

休日も建築に関するような場所へ家族旅行。
どんなときも「建築」でした。

そして、エリアのボーダーがない

全国を飛び回っていた先生。
フェイスブックをはじめてからは、その神出鬼没ぶりに驚きました。

最後に、仕事のボーダーがない

建築家だからと、建築だけではありませんでした。

マーケティングや経費削減、環境問題まで、施主の経営者が学ぶべきことまで学び、それを教えてくださいました。

さらに、地元・松本の建造物保存や小野川温泉の街並み景観の形成など、建築の専門知識を活かしたまちづくりにまで取り組んでおられました。

 

倉橋英太郎先生

生前の先生をしのぶコーナー

 

いろんな地域のいろんな業種のいろんな人が、先生といっしょにお仕事をして、先生に教わり、先生とならこんなことができる!と夢を見たと思います。

他人に夢や可能性を感じさせる素晴らしい先生でした。

旅館業界としても、先生ほど青年部員のいる宿を手掛けていた建築家はおらず、もし生きておられたらもっともっとたくさんの旅館が生まれかわり、経営面でも建てなおしていただけたことでしょう。

その点では、業界としても惜しい方をなくしました。

先生の建築コンセプト「蘇生」。

建築家のエゴのような費用の掛かる建築ではなく、施主やすでにある建築物のよさを引き出しながら、予算の面でも無理のない、末永く続く経営体を作る。

建物だけでなく、会社そのものを「蘇生」させる建築家でした。

先生のご冥福を心よりお祈りいたします。

著者情報

1976年、山形県米沢市生まれ。福島大学経済学部を卒業後、㈱旭テック(現・旭ブレインズ)に勤務。その後、オーストラリアでの1年間の放浪生活、那須温泉・山水閣での研修を経て、2004年、鈴の宿 登府屋旅館にUターン。宿の仕事のかたわら、小野川温泉のまちづくりに注力していた2011年、東日本大震災を経験。震災後は、米沢の温泉旅館の連携を模索。1か月後には、「温泉米沢八湯会」を組織化し、義援金を集め、プランを作り、新たな切り口で米沢の価値を高めている。2013年、代表取締役への就任を機に「車いすでも安心して過ごせる宿」を目指す。「お客さまは、旅館ではなく旅行に来ている」という発想から『車いすで米沢を旅する本』を編纂。車いすでも安心して旅できる地域づくりを行っている。また、宿の宴会場では、不定期で自主セミナーを開催。講演テーマは、「リピーターを生み続ける仕組みづくり」「小野川温泉・米沢八湯のまちづくり」「補助金・マスコミ・ソーシャルメディア活用法」「燃料は、捨てる温泉熱!ヒートポンプで灯油ゼロ」など。自身の経験を公開しながら、他地域からの視察も積極的に受け入れている。